やわらかい陽の射し込む春の午後。
ゆずきは魔導系部隊の訓練室のドアを、そおっと開けた。

「あの……」

「あなたが、ゆずきさんですね」

中には漆黒の髪に赤い瞳のエルフ――ギギがいた。

「は、はい」
「今日から私の部隊に移ってくるのは、珍しくあなただけなのですよ」
「え、そうなんですか?」
「ええ。ですから初歩訓練も私と2人でということになりますが、よろしいですか?」
「はっ、はいっ! よろしくお願いしますっ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」

力一杯答えたゆずきの様子が微笑ましいのか、ギギはくすりと笑って机を指差した。

「そちらにかけてください」
「は、はい」

手足が両方同時に出そうなぎこちなさで、ゆずきは3人がけの机についた。

ギギがアルミのカップを差し出す。

「戦場では食事や暖がとれないことも良くあります。そういうときの為に、私の部隊には常に香草を持たせています」

ギギが3種類の香草の束を机に置いた。

「香草のお茶は手軽に栄養がとれて、しかも温まる。これからの季節にはあまりわからないかもしれませんが、それでも砂漠の夜は冷えますからね」

言いながら、ギギは更に大きな水差しを机に置いた。

「ですから、私の部隊にはいったら、まず最初に香草茶をいれるためのお湯の沸かし方を学んでもらいます」
「……お湯、ですか?」
「そう、お湯、です」

ゆずきの反応を予想していたように、ギギがにっこり笑う。

「ああ、火を使ってはいけませんよ。魔導力でお湯を沸かすのです。――こんなふうに」

ギギはあらかじめ水を入れてあった別のカップを手に取ると、ジッと目をやる。

みるみるうちに細かな泡がたち、湯気が広がった。

「わあっ……!」

目を丸くしてカップを覗き込むゆずきに、ギギは優しく笑いながら言う。

「派手ではないですが、生き延びるためにはとても大切なことです。わかりますか?」
「はいっ」

瞳をキラキラさせてゆずきが答える。

「では、やってみてください」
「ええと……」
「水を振動させて、沸騰させるのです」

水差しからギギがゆずきの持つカップに水を注ぐ。

「慣れないとイメージしずらいでしょうから、手をかざしてみると良いですよ」

「は、はい」

ゆずきはカップのすぐ上に手をかざして水が振動する様をイメージしてみたが、何も起こらない。

少し考えるようにカップと手を見つめて、ギギはおもむろにゆずきの後ろから抱き込むように彼女の手を取った。

「――これくらい離した方が、魔導力が集中しますよ」
「きゃっ」

驚きのあまり思わず声をあげたゆずきに、ギギが可笑しそうに笑う。

「驚かせてしまいましたか?」
「あ、いえ……すみません」

そう言いながらも、手は離さないギギ。
ゆずきの耳元でやわらかな低音が揺れる。

「イメージしてください……水が震えて怒る様を」

ゆずきはギギのことを考えないように、集中集中と頭で唱えながら水を見つめた。

水が揺れ始める。

沸き立つ気泡を一心に見つめていると、ふと耳元で空気が動いた。

「……その調子です」
「っ!!」

集中してすっかりギギのことを忘れていたゆずきは、突然のギギの囁きにパニックになってしまった。

「きゃっ」
「危ない!」

突如コントロールを失い、カップの熱湯が溢れ出る。
ギギはゆずきを引き寄せ、右手の人差し指を湯に向けた。
指先から淡い光が広がると瞬時に湯を包み込み、球のようになって浮かんだ。

「怪我は?」
「大丈夫です……」

抱き寄せられた腕の温もりに頬が熱い。

ギギはそのまま水の珠を水差しに沈めると、なだめるように言った。

「すぐにコントロールできるようになりますよ」

ゆずきはギギに抱き寄せられたままだ。

「すぐに、笑ってたって泣いてたって、これくらいできるようになる。――そうならなくてはいけません」

ギギの声が少し硬くなる。
これくらいできなくては、戦場では生き延びられないのだろう。

少し緊張したふうのゆずきに、ギギはふと含み笑いをしながら、悪戯っぽく告げた。

「できるようになりますよ。私に……こんなことをされてたってね」
「……!!!」

不意に耳に息がかかり唇が触れるか触れないかで離れていく。

ゆずきは熟れたトマトのように赤い。

ギギはそのままゆずきを離すと、水差しを持ち上げ、再度カップに水を注いだ。

「大丈夫、私が教えてあげますから。――手取り足取りね」

クスッと笑ったギギに、心臓が持つだろうかと心配になったゆずきだった。

 

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